フィッツジェラルドノート1

フィッツジェラルドノート1

大空祐飛氏が、自分をがうまく出すことができずに
下級生のころは役作りに苦しんだという話は有名。
感情が表に出すぎる私には、長く「感情表現が苦手」という人が
どうしても分からなかった。
私が「感情表現が苦手」な人と付き合うようになったのは、
娘が生まれてからである。彼女は、決して、暗いわけでも、
内気なタイプでもない。ただ、感情表現が上手くできないのである。
怒られているとき、嬉しいとき、そして哀しいときも
あまり表情を作れない。
「悲しくないの?」と聞けば、「悲しいよ」と答える。
「楽しくないの?」と聞けば「楽しいよ」と答える。
つくづく「損をしている」と思う。
素直に感情を出せれば、もっと人間関係もスムーズに
いくだろうに、と(もっとも、本人は今はまだ全然気にしておらず、
友人とは屈託のない笑顔)。

だけど、私は知っている。

感情表現が苦手な人たちが、ようやく紡ぎ出してきた言葉が
どれほど重い言葉になるのか。長く、胸に積もってきた不器用な想いが、
一つの言葉となるとき、どれくらい人の心を打つのか。
まとわりつく雰囲気が、どれほど重厚なものとなりうるのか。
それは、器用に発散してきて世間とうまく折り合いをつけてきた
人では決して手にいれることができない宝物であることを。
大空の沈黙の重さは、確かにこうした年月があったことを感じさせてくれる。
それが、何よりも私の気持ちを打つのだと思う。

 同じことは先の見えない果てしない努力にも当てはまる。
結果が出ないかもしれない反復継続、地道な努力。
この積み重ねが、どれくらいその人の言葉を重くするか。
器用に、問題を処してきた人間が決して身につけることの
できない佇まいは、流してきた涙やため息の数に比例しているのだろう。

そう、確かに私は、知っている。

結果が見えなくても、努力をし続けることが、
その時は無駄に見えてもかけがえのない宝物を与えてくれることを。
だから、人はいくつになっても無駄とも見える努力を続けるのだ、
ということを。

だから、心からの祝福を送りたい。

結果が伴わずとも、努力をして、あがいてきた人達には、
かけがえのない宝物を手に入れたことを。
与えられたステージで自分の言葉を表現できることが出来た人達には、
その幸運を。

大空祐飛さん、バウ単独初主演おめでとうございます。