第一夜 新月
それは、海の底深く沈んでいるという。
冷たい冷たい氷の塊であるにも拘わらず、燃え続ける青白い炎。
ひとたび点火されると、決して絶えることのない火種を抱くその冷たい海の底に眠る鉱石を、
人々は「燃える氷」の意を込めて、「炎の氷」と呼んだ。
そして、「炎の氷」が眠る海域には、
「セイレーン」
海の魔女が潜む
美しい歌声で、船乗り達を暗い暗い海の底に引き込む。
その歌声を耳にした者は、もう逃れることはできない。
歌声に魅入られ、静かに海の底に沈み込む。
恍惚の表情を浮かべながら。
.・・・・ あなたの瞳は、どこをみているのか分からない。
誰を見ているのか、誰も見ていないのか。
切れ長の瞳の奥に潜むのは果てしない漆黒の闇
私を捉えて離さない黒い瞳
溺れる、溺れる、もがくことも忘れて沈み込んでいく。
「船が座礁するぞ!」
「舵が取られる!!!舫綱を!」
船体を立て直そうと、必死に舵にしがみつく船長の回りで船員達が右往左往しながら、
半狂乱で叫びまわった。
北の小国3カ国を巻き込んだ戦いは、終わりに近づいていた。
若き半島の王子は、初めての戦場でその役目を終えて帰還するところであった。
戦争の発端は、2国の覇権争いだった、小国に過ぎない半島の第三王子に課された役目は、
ほどほどの損失で、同盟国としての義務を果たして、無事帰還の途につくことであった。
王子も、王子の父王も、争いは好まなかった。
同盟国としての対面を保ちながら、いかに自国の被害を少なくするか、
大国に挟まれた小国が生き残る術は、結局のところそんなところで才覚を働かすかしかないのである。
目の前で人が殺され、泣き叫ぶ、家屋を失っていく。そんなものは見たくない。
偽善と言われようと、卑怯と言われようと、最小限の関与で自国にかえる。
・・・・.一人の兵士も無駄死はさせない。
その任務は、無事遂行されたはずだった。
冬の海の荒波に阻まれなければ。
「・・・・最後の最後に、この始末だ。」
王子は、我が身の不運を呪った。
半島の港は、岸壁に囲まれた自然の良港で、北国には珍しい不凍港であった。
湾を囲むようにそびえ立つ岸壁は要塞の役割を果たし、
何度となくこの小さな北国を他国からの侵略から守ってきた。
それが、冬の気まぐれな天候に振り回され、天にも届くような波のあおりをくらって、
自国の船すらも近づけなくしているのだ。
このままでは崖に打ち付けられて座礁するしかない。
八方ふさがりの絶望感に船が沈み込んでいる中、一際高い声が甲板に響き渡った。
「女だ!」
「女達が乗り込んでいる!」
船乗りにひったてられて船底から、数人の女が連れてこられた。
とても立っていられないような揺れ動く甲板で、怯えて震える女達。
戦火を逃れて船に逃げ込んできたのだろう。
その中で一人、怯えもせずに冷たい瞳のまま、見つめてくる女がいる。
波しぶきを浴びて、黒い髪を身体にはりつけ、見つめてくる漆黒の瞳。
ほっそりとした身体つきのその女が、身分が高いことは、
まわりの女達の態度と身につけている服装でわかった。
泣き叫ぶこともせずに、ただただ王子を見つめてくる。
「女は縁起が良くない、海に沈めないと。」
船乗りが叫んだ。
船の守り神である女神は嫉妬深い。
女が乗船するためにはそれ相応の禊ぎを行わなければならない。
戦火を逃れて、船に潜り込んだであろう女達が、そんな禊ぎの儀式を行っているはずがない。
船乗り達が、迷信ぶかいのには訳がある。
命がかかっているのだ。
「海へ放り出せ!」
「この波は女のせいだ!」
際限なく吹き付ける波しぶきも、騒ぎ立てる男達の狂気の火を消し止めることは出来ない。
災いの元は、海の底へ。
決断を迫る荒れ狂う船乗り達を押さえて、
かばうように抱きかかえた身体はしっとりと、王子の腕に吸いついてきた。
生まれたての子猫のようなしなやかな濡れた重みに、ぞくりとすると、
さらに追い打ちをかけるように耳元で、低い声が囁く。
「・・・・.助けてください。」
その代わりに.、と瞳が語った。
その代わりに、その代わりに・・・?
黒い闇に絡みとられるのを振り切るように、正気を取り戻すかのように、王子は叫んだ。
「帆をたため!このまま、速度をあげて乗り上げる!」
一か八かの王子の決断に、船長が舵をとり船乗り達に指示を与えた。
風に煽られなければ、湾に向かい速度を上げてつっこむことができる。
船体が壊れても、浅瀬に乗り上げることができれば。
船速を最大限にあげろ!
船を軽くしろ!いくつもの樽が順次海に放り投げ出された。
帆を巻き取れ!
大きな衝撃が走る中、王子は、しっかりと女を抱えた。
女は、何も言わずにその身体を預けてきた。
(2006.6.1)
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